今から30年程前は、蒔絵師の仕事は10月に入ると忙しい時節を迎えていました。
この時代は問屋さんが正月物(重箱、屠蘇器)を春先に木地師に発注し、
それが出来ると塗り師に持ち込み、丁度塗り上がるのが10月位でした。
問屋が会津漆器のコーディネーターとしての役目を果たしており、
会津漆器の特徴でもある問屋制度が成り立っていました。
今ではこの様な問屋制度も崩壊しているのが現状です。
妻の実家も塗り師だったので年間500個以上の重箱を納品していました。
後から知り合いの問屋さんに聞いた話では、毎月100万円以上の仕事をしていたそうです。
問屋さんも見込み発注で売れなかったら在庫を抱えなければなりません。
それだけの財力も無ければ問屋には成れなかったのではないでしょうか。
先生の工房では三段重を4個重ねにし、重箱に囲まれて仕事をしていました。
夕食も工房内で食べ、夜11時頃まで仕事をしていました。
この様な仕事が年末まで続いていた時代でした。
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