父の元での仕事は父がしていてくれた問屋の他に、塗り師の義父が紹介してくれた問屋の仕事が中心でした。
父と一日中、向かい合っての仕事でした。
漆の作り方も先生から習った事とは若干違って戸惑い、「先生にはこう習ったんだ」等と反発する時もありました。
周りの眼はまだまだ、山内先生の息子と言うレッテルが付きまとっていました。
父が会長をしていた「会津工芸新生会」にも勧誘されましたが、頑なに断っていました。
入会したのは、父が会長を辞めた時でした。
やはり最初から父の元で修行していたら、こういう反発は多かったのではと思います。
先生の信用は問屋の中でも厚く、「曽根先生の弟子だったなら、仕事をして欲しい」と問屋の数も増えていきました。
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