独立して2年程は問屋も5軒程に増え仕事も順調でした。
忙しい時は夜遅くまで仕事をして、一軒の問屋だけで月100万程の仕事をした事も有りました。
朝から晩まで同じ絵を描いていました。
今考えると恥ずかしい事ですが誰が購入し、どの様に使うのかも解らずに毎日描いておりました。
問屋に品物を収めると仕事は終わり、また新しい仕事に取り掛かっていました。
しかし3年目になると会津で多くの観光客を受け入れていた問屋が倒産し、
それをきっかけに取引先の問屋の一つも倒産し徐々に仕事の量も減ってきました。
ある問屋の社長は、「この品物は100回以上塗っている。有名なお店で使って貰っている。」などと
言葉巧みに塗り師と名乗りデパートで実演販売まで始めました。
しかし並べている品は中国製品でした。
私には塗り師を馬鹿にした以上に、会津漆器を汚す行為にしか映りませんでした。
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