私がこの道に入った頃、消し粉蒔絵は誰々、平極蒔絵が誰々、朱磨きは誰々
と言った具合に会津漆器には多くの名人と呼ばれる職人が居ました。
塗りでも問屋の仕事で品物を見ると誰の塗りと言うのが一目で解りました。
名人の塗り物を手掛ける時には緊張感を持って当たっていました。
その頃の職人は全て問屋からの仕事で生計を建てていました。
問屋の仕事が多かったので、腕を上げられたのではないでしょうか。
名人と呼ばれた職人も高齢になって一人減り、二人減りとなり、
今の会津漆器に名人と呼ばれる職人は はたしてどの位いるでしょう。
問屋が職人を育てる時代はもうやって来ないと思われます。
会津漆器の問屋制度と言うものは過去のもので、
職人が自ら腕を磨かなければならない時代になっていると思われます。